“誰かと一緒に生きているという感覚”があることで|感じることと観ずること

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こんにちは、Misakiです。

現在、未就学児から大学生までの選手に新体操の指導をしています。

今回は“誰かと一緒に生きているという感覚”をテーマに執筆していきます。

狙ったわけではないですが、また5日空けてのブログ更新となりました。
最近は雨の日が多いですね!

さて。

忙しなく過ぎる日々の中で淡々と同じような日々が過ぎていくなぁ、なんて感じる人も多いのではないでしょうか。

余裕が無いと自分の事ばかりに考えが偏りがち。

“誰かと一緒に生きている”と感じることでそれこそ、
何気ない日々が幸せだと実感するのかもしれない。

そんなことをふと考えていました。

“誰かと一緒に生きているという感覚”があることで

冒頭述べましたが…

“誰かと一緒に生きているという感覚”があることで、
何気ない日々が幸せだと実感する
のかもしれないなぁ。

とそんなことをふと思いました。

急に何を言っているんだ、と思うかもしれませんが…
何も問題がなく誰かがいつも通り側にいて過ぎていく日々は十分幸せだと
そんなことを感じたわけです。
家族や周りにいるみんなが健康で仲良しが一番です。
実はそんなことを毎年初詣でお祈りします。

生きている以上は誰だって、自分以外の誰かに迷惑をかけたりしながら日々過ごしていますよね。

山の中で一人で生きていたりしない以上、誰かと一緒に生きているのはあまりにも当たり前のことで、
しかもそのことが良く思えないときだって当然ありますけど。

人間関係の悩みも付きものですしね。

それでも人は一人生きることは難しくて誰かの為に何かをしたり
誰かの幸せを願ったり

そんなことを考えている時がきっと幸せなんだと思います。

私はまだ子どもがいませんが、
人生のスタートラインに立っている姪っ子達と、人生のゴールに向かって進んでいる祖母を対比してみた時に
“誰かと一緒に生きているという感覚”ということをふと感じて色々と考えていました。

感じることと観ずること

“感じる”ことは、私自身これまでとても大事にしてきましたが、
“感じる”だけではなく“観じる”こともとっても大事なんですよね。

どんな違いがあるのかって話ですが…

【観じる(観ずる)】
心に思い浮かべて静かに観察する。「改めて世界の情勢を―・ずるに」
思いめぐらして物の真理・本質を悟る。観念する。「人生を無常と―・ずる」

【感じる(感ずる)】
外からの刺激のために、感覚器官にある感覚を起こす。「空腹を―・ずる」「暑さを―・ずる」
心の中にある種の気持ちを持つ。
心を動かされる。感動する。
計測器などが反応する。
病気に感染する。
感心してほめたたえる。
前世の行為の報いが現れる。

goo辞書

私自身、改めて比較してみると…
自分自身の心が動いて感動する心は大切だと思っていますけど、やっぱり本質を考えていくことだったり
それぞれの価値観や物事の変化?などを観じることは大切だなと。

日本語って難しいですね。

“良い気分になるのも悪い気分になるのも、ほんの些細なきっかけだったりする”

そんなことを先日インスタグラムに投稿しました。

些細なことで気分の波があったりもしますが、
特に代わり映えなくても問題なく過ぎていく日々も幸せだなぁ、と

刺激を求め続けてきた自分に少し変化を観じました。

それでは。


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