【公私混同】悪とは言い切れない|混ざって良い事、悪い事

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こんにちは、Misakiです。
今回は“公私混同”をテーマに執筆していきます。

公私混同と聞くと悪いイメージがありますが、本当にそうでしょうか?
経験上、結果だけを見れば特にスポーツにおいては公私混同している人の方が結果が出ていると思います。
だから“公私混同は悪とは言い切れない”と私は思っています。


しかし先日、投稿した記事「選手としてのアイデンティティを考える」では、
アイデンティティを考える時には
選手としての自分と、そうでない自分
混同しない方が良い

と、お伝えしました。


公私混同して良いのか、悪いのか
言いたい事が矛盾してる!
どっちなんだ!


思ってしまいますが…

公的な部分と私的な部分、混ざって良い事と悪い事があります。
仕事の場合職種にもよると思いますし。

“公私混同は悪とは言い切れない”
今回はその理由について私の考えをお伝えしていきたいと思います。

私はスポーツの現場に長くいるので、スポーツ選手・アスリートをイメージしてお伝えしますが、
たとえスポーツに関係ない職場にしても、何事も繋がる部分はあると思いますので
スポーツに関係ない人も、まだ学生の方も一緒に考えていただけたら嬉しいです。

公私混同は悪とは言い切れない

なぜ悪と言い切れないのか?それは
いかに練習・トレーニング以外の時間を有効活用できたかによって結果が変わってくるからです。

1日の中で練習・トレーニングの時間は限られていますよね。
新体操で例えると、仮に練習が8時間、睡眠時間も8時間とすると
食事やそれ以外の時間は8時間あります。

新体操は練習時間が比較的長いですが、練習時間が3時間の場合は
それ以外の時間が13時間もあります。

アスリートは食事も仕事のうち。
そして新体操は、自らの表現力・感性を養うために恋人を作りなさい
なんて日本代表の選手たちはコーチから言われていたりします。

自分自身の身体と心の状態がパフォーマンスに直結するため、
プライベートな時間にもいかに自分のパフォーマンスのために費やすことが出来たかどうかで
結果に大きな差が出てきます。

でもこれって、
学生の勉強や会社員の仕事も同じだと私は思うんですよね…
公的な部分も私的な部分も相互作用は必ずあるので、
互いをいかに高められるかが大事な気がしています。

公的な部分に私的な部分を混同することで良くなることもあるし、
私的な部分に公的な部分を混同することで良くなることもある。
逆もしかり…


少しややこしくなりましたが、
だからこそ
必ずしも公私混同することが悪ではない。

混同してはいけないこと

混同してはいけないこと、それは
私的感情を公的な場に持ち込まないことそれに付随する行動

また新体操を例にしますが、
新体操の場合決められたプログラムをいかに正確に実施できるか、ということが重要なので
そこでは“痛い” “辛い”のような感情は持ち込むべきではないのです。

家族で食事をしている時にみんなに食事制限を強要する、
なども良くないですよね。

要は、迷惑をかけないでください。
という事だと理解してます。
混同する事が悪なのではなくて、混同する事で相手に悪をもたらす事が悪です。

アイデンティティ の公私混同

冒頭でも述べた通り、

「選手としてのアイデンティティを考える」の記事では
アイデンティティを考える時には
選手としての自分と、そうでない自分
混同しない方が良い

とお伝えしました。

なぜならば、
上手に気持ちを切り替えられるようにするため


具体的に説明すると、混同してしまうと
引退後やスランプ時の立ち直りが大変だからです。

アスリートとしてこうありたい、という自分と
プライベートの自分のアイデンティティを分けて考えられていると、
引退後やスランプ時の立ち直りがスムーズだな、と私は実体験から感じています。

先ほどもお伝えした通り、
アスリートにとっては上手に公私混同している方が結果に結びつきやすかったりもするので
生活の全てを捧げているような選手もたくさんいます。
みんなそうかもしれません…
だからこそ結果が出ていたりするのですが、

しかしそうすると、選手を引退する時や怪我で動けなくなってしまった時には
上手く自分をコントロール出来なくなったり、競技にかける比重が多ければ多いほど
それが無くなった時には“自分は何がしたかったんだ?”
と悩む人が多いです。

なのでアスリートの人は競技以外のコミュニティーも作っておくと良いかもしれませんね。

【まとめ】
・公私混同は必ずしも悪ではない
・互いにプラスに作用するようにする
・私的な感情を公的な場に持ち込まない








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